2023-04-13
慶性院(東大和市)
慶性院(東大和市)

真言宗豊山派 白部山 慶性院
住所: 東大和市芋窪6丁目1353
”慶びの聖地” 白部山慶性院
当山は開山以来400年以上の歴史を有し、江戸時代に編纂された
新編武蔵風土記稿では医王寺として紹介されていた真言宗豊山派のお寺です。
ご本尊は、お不動さま(不動明王)で、奥の院には特に眼病平癒のご利益がある
お薬師さま(薬師如来)をお祀りしております。


左 庚申塔 享保7年(1722)10月吉日
中 弁財天 寛延2年(1749)
右 水天像 江戸時代末期(東大和市重宝)

慶性院の東側山門を入ると、すぐ右側に3体の石仏があります。
重宝に指定されている水天像は一番右にまつられています。
いずれも村山貯水池に沈んだ石川の里のそれぞれの地にまつられていました

奥の院の薬師堂です。
『新編武蔵風土記稿』は「開山承秀 慶長6年(1601)11月28日寂せり。
本尊は薬師如来」としていますので、慶性院の当初の本尊は
薬師如来であったことがわかります。
堂内に、薬師如来(明和2・1765年まで慶性院の本尊)、
日光菩薩・月光菩薩、十二神将が祀られています。

左 庚申塔 寛政2年(1790)
中 大日如来 享保8年(1723)
右 六地蔵 明治21年(1888)2月






白山大権現

東側山門から入ってすぐの石造物の横を右に入ると庫裏の右側に鳥居が見えます。
白部山(しらべさん)慶性院と寺の山号のもとになった白山大権現がまつられています。
旧地の石川の里では小高い丘にまつられていたと伝えられます。
明治の神仏分離政策で強引に引き分けられた白山大権現が平成8年(1996)、
敷地内に見事に復興されました。



真言宗豊山派 白部山 慶性院
住所: 東大和市芋窪6丁目1353
”慶びの聖地” 白部山慶性院
当山は開山以来400年以上の歴史を有し、江戸時代に編纂された
新編武蔵風土記稿では医王寺として紹介されていた真言宗豊山派のお寺です。
ご本尊は、お不動さま(不動明王)で、奥の院には特に眼病平癒のご利益がある
お薬師さま(薬師如来)をお祀りしております。


左 庚申塔 享保7年(1722)10月吉日
中 弁財天 寛延2年(1749)
右 水天像 江戸時代末期(東大和市重宝)

慶性院の東側山門を入ると、すぐ右側に3体の石仏があります。
重宝に指定されている水天像は一番右にまつられています。
いずれも村山貯水池に沈んだ石川の里のそれぞれの地にまつられていました

奥の院の薬師堂です。
『新編武蔵風土記稿』は「開山承秀 慶長6年(1601)11月28日寂せり。
本尊は薬師如来」としていますので、慶性院の当初の本尊は
薬師如来であったことがわかります。
堂内に、薬師如来(明和2・1765年まで慶性院の本尊)、
日光菩薩・月光菩薩、十二神将が祀られています。

左 庚申塔 寛政2年(1790)
中 大日如来 享保8年(1723)
右 六地蔵 明治21年(1888)2月






白山大権現

東側山門から入ってすぐの石造物の横を右に入ると庫裏の右側に鳥居が見えます。
白部山(しらべさん)慶性院と寺の山号のもとになった白山大権現がまつられています。
旧地の石川の里では小高い丘にまつられていたと伝えられます。
明治の神仏分離政策で強引に引き分けられた白山大権現が平成8年(1996)、
敷地内に見事に復興されました。


スポンサーサイト